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はじめに


自分が持っているのは、初版の「ポケットの中のダイヤモンド」になります。



初版は既に絶版になりましたが、現在はナチュラルスピリットから復刊されています。

自分が今回読んだのも初版の方になりますが、訳者が変わっていないので内容は変わっていないと思います。

最初に読んだ時はとても気に入っていたのですが、今回読み直してみて以前はこの本のことのほとんどをわかっていなかったように感じています。

多分、読み直す度に同じ事を考えると思いますが(汗)

読書って、そんなものだと思うのでいいのですが。


ところで今回の感想ですが、一言で言うと「この本はスゴイ」でした。

ビックリするくらい、内容が濃かったです。

以前は、全然気が付きませんでした。

自分が感じる原因は明らかです。

それは自分が変わったからの一言に付きます。

変わったといっても、実際には何も変わっていないので説明できないのですが・・・

以前、「アジズとの対話」でも書いた変化があったからだと思います。

いろいろな本を読んでも現在は本を読む上での見方が以前とは変わってしまいました。

この変化が曲者なのですが(汗)

多分、アマゾンのコメントなどを読んでいると、具体的な方法がわからないと言ってガッカリしているコメントをよく見ます。

実は、ガンガジの本に限らず、この手の本の場合にはみんな同じ壁にぶち当たって途方に暮れているように感じてしまいます。

実際、自分が前回読んだ時は、そうでした。

そのときは、「止まる」ことやいやなことから「逃げる」こと、好きなことを「求める」ことの重要性を感じていました。

ただ、結果として「何も変わらなかった」のです(汗)

多分、この壁を越えるかどうかが大事なのでしょう。

ガンガジも言ってます。

「私たち人間の歴史上の今、この地点では、かつては一握りの希有な存在にしか手に入れることのできなかったものを、ごく普通の人も手にすることができるようになっている」


自分も、そう感じています。

自分なりの気づきが起こった後、世の中のいろいろな情報に触れていると、かなりの人達が既に気づき始まっているように感じるようになりました。

これは、自分の勝手な想像ではありますが・・・

少し横道にずれてしまいました。

本の説明に戻ると、この本はガンガジが15年間にわたって世界中の人と交わした会話から生まれたとあります。

とは言うものの、この本はたくさんのQAが羅列された本では無いです。

ガンガジがたくさんの人と向き合って得られることの出来たエッッセンスを凝縮し、その人達のヘルプとなるように構成されたような本です。

本の章立てから、各章の詳細まで驚くほど細部にわたって考えられた内容になっています。

大きな章立ては4つ、

PART1 本当の自分発見への招待
PART2 思考を超え、感情よりも深く
PART3 もつれた苦しみを解きほぐす
PART4 平安の選択


となり、さらに各PARTは55に分かれています。

1 探そうと思わなかった場所
2 幸せを求めて
3 開き、受け入れる
・・・
54 自由への一線を越える
55 ヴィジランスへの決意


こんな感じの目次立てになっています。

最初に驚くのは、「序文」をエックハルト・トールが書いていることです。

ある意味、この世界の大御所ですから^^

それも、大絶賛という感じの序文になっています。

この本を読み直して見て、そう言う序文を書くのも納得のいくものでした。

本当に、この本はとことん読んで見る価値があると思います。

エックハトトールは「序文」で

「この世でどれほど成功しようとも、この生きた真実を知らない限り、あなたは芽を出さなかった種のようなものであり、人間としての存在の真の目的を掴みそこなったのだ。」


とまで言っています。

ガンガジ自身も世間的に言えば幸せな生活を送っていたにもかかわらず、心理的に追い詰められてしまい、ババジに助けをもとめ気づきを得ています。

私は「私」という物語に縛られていないと!ということに気づいたのです。
その瞬間のシンプルさは信じがたいものでした。
そんなにシンプルであるはずがない。
と思っていたのです。


ガンガジがシンプルと表現したもの、このシンプルさは本当に困ったものです。

これのこと」でも同じシンプル差によって、ジョーイ・ロットさんが苦労しています。

すべてのマスターと言われる人達も同じように苦労しているのだと思います。

いろいろな人が「あまりにも近いところ」と表現したりもします。

すべての人の目の前に転がっていると言ったら違うのでしょう。

前ですらない、その人のいる場所そのものなのですから。

そして、特別な時に現れるものですらありません。

いつもあるのですから。

あまりにも当たり前すぎで、見向きもされていないのですから。

譬え見えていても、「気がつかない」と言った方がいいのかもしれません。

そんな当たり前の筈がないという先入観は大きいと思います。

そんな感じでわかりにくいものなので、ガンガジはこの本でいろいろな方法を使って説明してくれます。

それで、「4つのPART」「55の詳細」に分かれているようです。

質問」について


この本の特徴的なのは「質問」がいくつもされていることです。

この質問は時間が掛かっても、是非実際にやってみた方がいいです。

と言うよりも、やらないとこの本を読む価値が「限りなく無くなってしまう」ように感じてしまいます。

それほど、重要な質問がいろいろ用意されています。

この質問を通して読者が自分自身とのコンタクトを深めて行くのですから。

例えば、次のような質問があります。

■「5 あなたが本当に求めているものとは」より   <P.060>

自己探求の道程の中で最も重要な問いの一つは、あなたが本当に求めているものは何か、ということです。


あなたなら、この質問にどう答えますか?

・・・

「止める」について


感想として書きたいことはたくさんあるのですが、長くなってしまうのでひとつだけ取り上げてみたいと思います。

ガンガジの紹介として、やっぱり大切なのは「止める」だと思うのでそれ関係の引用をさせていただきます。

実際には、「止める」に関連したことはたくさん書かれているのですが、他の人があまり紹介していないと思うところを引用してみます。

■「20 理性が沈黙にひれ伏すとき」より   <P.138>

「止める」というのはまず、思考が浮かんだときに、あなたには選択肢があるということに気づくことから始まります。


ここでは、普通考える何かの「行動」を「止める」とは少し違っています。

「思考」が浮かぶことを「止める」でもありません。

普通は「止める」と言うと、思考を浮かばないようにすると思う人もいるかもしれませんが・・・

普通は、そんなことは無理なのでつまずいてしまうのではないでしょうか(笑)

ここではどんな「思考」が浮かんできても、そのこと自体は問題ではありません。

大事なのはそこじゃ無いんです。

大事なのは、その「思考」に対して「解釈の選択肢」があると言う事実に「気づく」ことなんです。

そして、ここでは「止める」の文脈から出ているので「解釈をしない」選択肢があることに気づくと言う話になります。

このことはとても大切だと思います。



世の中のすべての出来事に対して解釈をしながら、喜んだり悲しんだりして生きているのが
私たちなのでは無いでしょうか?




このブログ「千代能のメモ」にも、同じような記事を書いていてもう少し詳細に説明しているので、もし興味がある人は見てください。


ガンガジの意図とは違う可能性もありますが、考え方の一つとして参考になるかもしれません。


「幸福・不幸の根を摘む-「いい」「悪い」を後にする」

最後に


最後に、もうひとつの「ガンガジの言葉」を引用させていただきます。

■「2 幸せを求めて」より   <P.048>
どんなときでも、ほんの一瞬のうちに、境界も限界もない、永遠で神聖なあなたの伝統の本当の姿に気づく可能性はあります。
・・・
この真実に気づくことが、この本に書かれていることのすべてです。

もしひと言も記憶に残らなかったとしたら、それでいいのです。


以前だったらこの文章を読んでも、想像すら出来なかったと思います。

>もしひと言も記憶に残らなかったとしたら、それでいいのです。

なのですから(汗)

以前は、いろいろな情報を集めていました。

いろいろなマスターの本を読みあさっていたと言ったらいいのかもしれません。

結局、何の解決もできなかったのですが。

そんな中でまったく理解できない話がありました。

「拈華微笑」と言う話です。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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拈華微笑
ねんげみしょう

釈尊が霊鷲山で会衆を前に蓮華を無言でひねったのに,

その弟子迦葉 (かしょう) だけが微笑して応じたことをいう。

釈尊の心中にある仏教の真理が

無言のうちに伝授されたことをいうもので,

特に禅宗でしばしば用いる。


言葉を使わないで伝えるっていうだけで信じられなかったです。

このガンガジの話も「拈華微笑」も同じ話だと思います。

そもそも言葉では扱えないものの話なのですから。

それ故に、多くのマスター達が苦労しているのだと思います。

「境界も限界もない」と言う言葉が物語っているように、境界も限界もないものをどうやって表すことが可能なのでしょうか?

初めから無理なのです。

「言葉」は単語の「境界」ゆえに存在できるのですから。