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今回は、書きづらい内容の記事を書こうと思います。


書きづらいけど、とても大事だと感じているのでやっぱり書いた方がいいかと思い書くことにしました。


最初に断らなければいけないのは、自分は「キリスト教」についてきちんと勉強はしたことはありません。
なので、キリスト教の関係者の方は、出来ればこの記事を「スルー」して貰えればうれしく思います。


多分、納得がいかない内容になっていると思うからです。


もし、気に障る内容がありましたら、申し訳ありません。


それに、これから書くことは自分の想像であり、何の裏づけも取っていません


いろいろな精神世界の本を読んで思ったことになります。


このブログはほとんど人が来ることは無いので、こんなことを書く心配は必要ないとは思いますが念の為の注意書きになります。


人間の意識を次の3段階に現してみます。


つい最近読んだ、「「私」という夢から覚めて、わたしを生きる」の中のP.83にマホロバアートの高木悠鼓さんの定義がでています。

1.動物意識の段階
 肉体が生き延びることが関心のほとんどすべてで、その行動規範は「何かを得ること・持つこと」にある。生活の不安や、他者より、他の集団よりももっと得たい、という考えはこの意識のレベルからくる。エゴは未発達で、自分のエゴにも他者のエゴにもほとんど気づいていない。


2.人間意識の段階
 他者と違う自分というものを意識し、それを確立する段階。自己実現、自己表現をするために「さまざまなことを体験する」ことを望む。自分と他者のエゴが違うことに気づき、自分が所属している集団(家族、学校、国家・・・)の価値観を疑問に感じたり、再検討することが起こる。


3.神意識の段階
 自分は一人の人間であり、固体であるという意識が崩壊し始める。このレベルでは得ることや体験することではなく「意識して存在している」ことが大切になる。


ここでタイトルにある、「エデンの園」にいる「アダム」と「イブ」の段階が「1.動物意識」の段階だと思っています。


これは、現在では「赤ちゃん」「動物」の段階ですね。


まだ、「言葉」が発達していないために、世の中を「言葉化」による「思考」によって分離が出来ていない段階になります。

例えば、自分の手を見た場合、「手」や「指」、「腕」等のような言葉を持たないため、身体を部分に分けて意識することができません。


その考えの延長では、自分の身体と風景の境界も分けることが出来ず、世界の境界がひとつになっています。


つまり、「アドヴァイタ」とか「ワンネス」とかの世界観、全てはひとつの世の中なのです。


そんな、アダムとイブが「善悪の知識」を得ることによって楽園から追放され「2.人間意識」の段階に入ります。


これが、私たち人間が教育によって「言葉を学ぶことにより、「思考」を手に入れた世界です。


この世界が、「アドヴァイタ」とは逆の二元対立の世界、「善-悪」、「明-暗」、「幸福-不幸」、「美-醜」・・・になります。


私たちは、大人になることによって「エデンの園」から追放されてしまうのです。


そして、この「二元対立」の世界を後にするのが、「3.神意識」の段階になります。


それらの世界に入った人達が、「アドヴァイタ」のマスター達や「仏陀」、「キリスト」・・・になるのではないかなと思っています。


この二元対立から離れることを記事にしたのが「幸福・不幸の根を摘む-「いい」「悪い」を後にする」になります。


こんな風に考えると、自分的にはとても納得できるという意味なのですが・・・(汗)


【注意】
この記事は個人的な考えなので、違った考えの人にこの考えを押し付ける意図はないのでご了承ください。