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  • 「私」という夢から覚めて、わたしを生きる
  • 中野真作
  • シバブックス


  • この本で初めて中野真作氏を知りました。


    ストーリーがメインの本なので、とても読みやすく一日で読み終えました。


    読んだ印象は、自分とはまるで違う経歴の方なのですが、本から受ける世界観が自分と大分似ているという感じでした。


    そういう意味では、とても共感を感じることができました。


    大きな違いは、自分の場合には中野真作氏のような「一瞥体験」などまったく無いということです。


    と言いつつも、自分の考えでは「一瞥体験」なんて「どうでもいい」なのですが。


    逆に、「わけのわからない一瞥体験がある」と勘違いして道を踏み外す人が大量に出回りそうで怖いです。


    中野真作氏のことでは無いです。
    この本には、そんな気配すらないです。


    ただ、この手の世界を回っていると、「不思議な体験=一瞥体験」と勘違いをして、禅でいう「魔境」をありがたがっているような人がおおい感じがしているからです。


    自分が近づきたくないのは、奇跡を求める人たち奇跡を行う人です。


    あとは、ご利益関係もNGです。


    気配を感じたら即効逃げます(汗)


    しまった、口は災いなりでした><


    全然関係の無いことまで書いて、敵をたくさん作ってしまいそうだ(汗)


    もう、遅い?


    自分みたいなどこの馬の骨ともわからないブロガーが、こんな口調で書いていたら袋叩きになってしまいそうですが・・・


    ごめんなさい


    どうして、こんなことを書くかと言うと、自分のブログでも書いているように


    自分は、中学の頃からたくさん幽体離脱体験をしてきました。


    体験的には、とても強烈でインパクトがあり至福に満ちたものだったのですが、


    でもそんな体験はゴミだと思っているからです。


    ゴミというのは、悟りとかいうようなものとは何の関係も無いと言う意味です。


    所詮、現れては消えてしまう一時的な体験にすぎないんです


    自分が大事にしたいのは


    「現れて消えてしまうものではなく、常に変わらないもの」


    これだけです。


    好き勝手書いてしまい、ひんしゅくを買ってしまいそうですが。


    それでも、あえて書いたのは、


    自分の感じる「悟り」って、「誰にでもある、あたり前のこと」だと思っているからです。


    ただ、それが「悟り」って気づいていないだけで、「見過ごしている」だけって感じです。


    だから、「気づいている人」「気づいていない人」がいるけれど、「実質どちらも同じ」だと言うことです。


    ま、「気づいている人」は、「あえて苦しみを選ぶことは少ない」ということでしょうか?


    中野真作氏の本でも、

    P.254 「エピローグ」より


     一瞥の体験は時には悟りそのものと勘違いされることがあり、あまりそれにこだわらないように、という言い方もされます。
     それはその通りなのですが、一方で、その後長く続いていく真の目覚めのプロセスを導いてくれる大切な道しるべでもあります。

    あれ?


    前半は、よかったけど後半になって雲行きが(汗)


    ま、いいか(汗)


    「この本の感想」に戻ると、とてもいろいろなことが、やさしく説明されていてとてもわかりやすい本だと思いました。


    とくに、中野真さん自身の体験から説明しているのでイメージもしやすいと思いました。


    ここで終わってしまうと、内容については何も語って無いような感じなので自分的に印象に強く残ったところをいくつかピックアップしてみます。



    P.55 「意味を手放した日」より


     一方、出来事に与える意味は人によってまったく違います。自分が、ある特定の出来事にどんな意味を与えているのか、ということに気づくことは、どんなふうに自分で自分を制限しているかに気づくことにつながっていくでしょう。




    この文章などは、千代能の言葉としてもいいような文章です。


    このブログの記事「幸福・不幸の根を摘む-「いい」「悪い」を後にする」を見てもらえれば、どうして、そんな生意気なことを言うかわかるかも?です。


    自分的には、超大事な所だと思っています。


    そして、その直後にある




    P.55 「意味を手放した日」より


     瞑想などで「思考のすき間を見る」とか「思考の浮かんでいる空間を見る」といったような言い方がありますが、そういった感覚と似ている体験だったかもしれません。




    ここも、大事すぎる場所です。


    ここででている「思考のすき間を見る」「すき間」については、この本でも何度も登場します。


    般若心経「空」と言う形で出てます。


    もうひとつ書くと、第2部のはじめに「私とは誰か」と言うところで、簡単なワークが出てきます。


    このワークは、この手の本に馴染みの無い人にも「比較的入りやすい」ものかもしれません。


    ただ、全体的にこの本は「著者のストーリーがメイン」で、「ワーク」そのものは「他の人の本を紹介」するスタンスのようです。


    いくつかのワークは最後に出てますが、最後にあると言うのはどうなんでしょうか?


    多分、この本では「読者」を「変える」までは狙っていない?


    「アジズとの対話」のように、「ステート・オブ・プレゼンス」1つでカンガン攻めるのとは違い、「最初の道案内」的な位置づけなのでしょうか?


    その割には、「深いところまで書いてある」ので何ともいえません。


    大事な点を書き忘れてました。


    中野真作氏は、セラピストとして長い経験がある人なんですね。


    セラピストとしての立場からのお話も大分出てきます。


    実際には、中野真作自身の体験のボリュームが多いです。


    中野真作氏のセラピーを受けたことは無いのですが、下記の引用のところを見てみると、自分の大好きな「ガンガジ」を思い出してしまうので好印象です。

    「6章 ありのままの自分を愛する」より
    P.101
     実は「自分を愛する」「自分をありのままに受け入れる」というのは、まさにこのこと、つまり、心や身体の奥にある感覚をそのまま味わうということなのです。


    実は、自分も若い頃は沢山のセラピーグループや瞑想も長くしていた時期もありました。


    今から思うと、それらの体験は自分にはとても役にたちました


    中野真作氏じゃないけど、自分もたくさん泣きました(笑)


    自分自身のゴミ掃除がとても大変だったと言う意味ですが。


    と言っても、まだゴミが大量に残っていますが、気にならなくなったので、よしとしてます(笑)


    何か変ですが、これで感想は終わりです。