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「嫌われる勇気」を読みました。
「嫌われる勇気」は、全5夜からなる「哲人」と「青年」対話になります。


その中から、このブログの管理者(千代能)が特に重要だと感じている「人は変われる」に焦点を絞って感想を書いてみようと思います。


「変わる」ことの「重要性」と「難しさ」は、説明しなくても既に多くの人が体験済みだとは思います。


現在の生活に不満はあっても、現状維持を続け「どうしたら現状を打破できるのか?」とか考えもしない人も多いのではないでしょうか?


この「嫌われる勇気」の中で登場する「青年」はまさにそんな悩みを持ち、今の自分に不満だらけの生活を続けています。


ところがある哲人の言葉(下記引用)を聞き、物語が始まります。

・・・世界はどいこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる、と説く哲学者が住んでいた。納得のいかない青年は、哲学者のもとを訪ね、その真意を問いただそうとしていた。悩み多き彼の目には、世界は矛盾に満ちた混沌としか映らず、まして幸福などありあなかった。・・・



「主観的な世界」とは

初めに導入のお話から「哲人」と「青年」の世界観の違いについて見てみます。

青年: 誰が見ても矛盾に満ちた混沌ではありませんか!
哲人: 世界はシンプルであり、人生もまたシンプルです。

まったく、お互いの世界観に接点がありません。
この違いを「哲人」は次のように説明します。

哲人 人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。

ここはまだ本文にも入っていないところでもあるし、「嫌われる勇気」を読んだ人の大半は、あまり印象に残らずに次に進んでしまったかもしれません。


それに青年に「主観的な世界」の説明として「井戸水の温度」の話をします。
夏には「冷たく」感じ、冬には「温かく」感じると言う話です。
それが「主観」であると。


自分が思うのは、この例は「主観的な世界」とは関係の無い「井戸水」の印象が強く残ってしまい、本当に知って欲しかった「主観的な世界」のイメージがわからないままになっているように感じます。


自分がこの話を読んで直ぐに思い出したのは、以前投稿した記事「パラレルワールドの体験」です。
タイトルは違うものの、実際の意味は「哲人」が「主観的な世界」で表現したものと同じだと思います。
つまり、私たちが住んでいる世界は誰にとっても客観的な世界など存在しないと言うことです。
何故なら、全ての体験は体験者のフィルターを通して知覚されたものだからです。


「原因論」と「目的論」

本文の「第一夜 トラウマを否定せよ」では「原因論」と「目的論」の違いについて説明されます。


この視点を理解することが、この章を理解する上でとても大事なことだと思います。


本文の中では、定義として書いていなかったの為、会話の中で語られた場所を引用してしてみます。


【原因論】

現在のわたし(結果)は、過去の出来事(原因)によって規定されるのだ、と。

(例) トラウマ(心に負った傷)


【目的論】

過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます

これだけでは「目的論」がわからないので、話の中で出てきた青年の友人で「自室にこもりっきりになった男」の例で説明されています。

ご友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えるのです。



この2つの考え方の大きな違いは、現在に強い「影響を与えているもの」の捕らえ方です。


【原因論】では、「過去の出来事」になり、【目的論】では「現在の目的」になっているところです。


多分、トラウマで知られる原因論は多くの人にとって理解しやすいと思うので、あまり馴染みのない目的論についてもう少し説明の引用を追加します。


アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック-いわゆるトラウマ-に苦しむのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。



この文書では中々理解しずらいので「哲人」がもう少しわかりやすく説明しなおしてくれています。


たとえば、大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし、大切なのは、それによって何かが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです



実は、この体験は多くの人が体験していることだと思います。


例えば、同じ本を「若いときに読んだ時」と「年を取った後で読んだ時」の受け取ることが違ってくること。


過去の失敗もその後、苦労を重ねた後に思い出すと、その体験が大事だったと思いなおすように、と。


自分でも以前、「過去は「今ここ」で変えられる」と言う記事で似たような体験を書いています。

なぜ「人は変われる」なのか

「原因論」と「目的論」について見てきましたが、「人は変われる」ことについてもう少し見てみます。

「目的論」では、何故人が変われるのか?


その答えは、「ライフスタイル」と言う概念の導入にあると思います。

わたしたちの「今ある現実」は、毎日の生活の中で行われる「選択の結果」と言うことも出きると思います。


そして、それらの選択を行う「動機」を、「原因論」と「目的論」から探ってみると次のようになると思います。

【選択を行う動機】
 「原因論」「気質」や「性格」に影響される
 「目的論」身に付けたライフスタイル(人生における、思考や行動の傾向)による


【例】
 「原因論」 わたしは悲観的な「性格」だ
 「目的論」 わたしは「悲観的な世界観(ライフスタイル)」を持っている



「原因論」では、自分たちの「行動の動機」を「気質」や「性格」としていました。
どうも「気質」とか「性格」と思うと、変えられないようなイメージを抱いてしまうと思います。
その人の属性のように感じてしまうんですね。



しかし、「目的論」では「ライフスタイル」と言う概念に変わり、自分の意思で選び取ったことを明確化しています。


つまり、いまの自分の有様は「自分が選んだライフスタイル」の反映した結果になるのです。


この「自分が選んだ」が大事な点です。


いまの生活がいやなら自分の意思で「変更可能」になるからです。


後は、「新しい「ライフスタイル」を選ぶことが可能か?」という問題になります。


何故なら、新しい事は「不安」だからです。


ただ、本当にいまの現実を変えたいならば、「未知の中に踏み出す勇気」を持たなければならないのです。


最後に、自分の感想として強く思うことは、「真に望むならば、「いま、ここ」で自分が望むライフスタイルを選択が出きる。」と言う事実をアドラーが示してくれたことへの感謝です。